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ちむどんどんはいつの時代?当時の沖縄の様子が分かって衝撃

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まだ始まったばかりの「ちむどんどん」ですが、毎日楽しく観ています。

子役時代が終わって、つまらなくならないといいな(笑)。

ドラマでは当時の沖縄の様子もチラチラ描かれていますが、現在の私たちの生活とはかけ離れていてびっくり。

なんとなく聞いていたことを目にして初めて実感しました。

ちむどんどんはいつの時代?

ちむどんどんがスタートしたのは1964年

暢子は10歳、小学生でした。

その頃の沖縄はアメリカ合衆国によって統治されていました。

日本は経済成長期(1955年頃~1973年頃)で賑わっていましたが、沖縄はやっと電気が通った頃。

東京から来た転校生の青柳和彦が、「ここには遊ぶところ(映画などの娯楽)がなにもない」とぼやいていましたよね!

東京の生活と沖縄の生活は全然違っていたようです。

暢子たちの生活はそこにあるもの(沖縄の自然)と共存している感じがしますもんね。

そういえば、1964年は東京オリンピックがあった年ですね!

アメリカ統治下の影響

売店で「えっと~」と言いながら、コーラのお会計をする青柳和彦。

沖縄では日本円ではなくドルが通貨として使われていたので、転校したての青柳和彦はドルでの支払いにまだ慣れていない様子でした。

ちなみにコーラ1本10セントでしたが、今の価値にするとどのくらいだったのだろう・・・

現在の10セントは12円くらいですよね。

ドラマでも説明がありましたが、車も右側通行でした。

じゃぁ、横断歩道を渡るときは「右見て左見て右を見る」じゃなくて「左見て右見て左見る」なのかな、とか余計なことを考えたり。

それに、沖縄と本土を行き来するにはパスポートが必要だったそうです。

私の地元は田舎なので、「実家に帰る時、パスポートいるの?」なんてからかわれたこともありましたが、そんな次元ではないですね・・・また余計なこと言ってすみません。

ドラマではその世界の一部しか知ることが出来ませんが、それでも想像を超えた世界がそこにはあったようです。

アメリカの統治は1945年~1972年まで

今年は、沖縄の本土復帰50年だそうです。

それを記念してこの「ちむどんどん」が放送されているんですね。

本土復帰をした1972年(昭和47年)は暢子が高校を卒業し、料理人になるために東京に上京をする年です。

沖縄も暢子も節目の年です!

復帰からの6年後の1978年(昭和53年)には、それまで右側通行だった車両が左側通行になるルールの変更があったそうです。

その日を迎えた那覇市内は大渋滞となったようですが、こうやって時代とともにいろいろな顔を持った沖縄があるんですね。

高校卒業後、暢子は念願の有名レストランでの厨房で修行を始めます。

職場は東京ですが、下宿先は神奈川県横浜市の鶴見。

鶴見は京浜工業地帯の近くですが、ここは戦前から働くためにやってきた沖縄出身者が多くいた場所だそうです。

これ以降のストーリーはまだ明確にはなっていないですが、2022年現在も生きていたら、68歳くらいでしょうか。

まだ、美味しいものを追いかけてバリバリ働いていそうですね(笑)

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